嫌われる勇気 と ヨガ
久しぶりに岸見一郎、古賀史健著
[嫌われる勇気]を読んで
改めて学びがあり、感動しました。
この本
ここ10年でのトップベストセラーとして
2013年初版発行から
今でも書店のランキングコーナーに出続けています
続編の幸せになる勇気と合わせて
世界で400万部以上の部数
それだけ多くの人に影響を与えているのは
そこに普遍の本質があると
意識的、
もしくは無意識で受け手が感じ取るからだと思います
簡単に説明すると
この本の教えは
約100年前に活躍した心理学者
アルフレッド・アドラーの教えをもとに
人の幸福とは何か どう生きるべきかという
人生の捉え方 態度 を
青年と哲人の対話方式で語っています。
アドラーのような哲人と一般的な青年との
対話なので、実践的で文が読みやすく共感しやすい
けれども、要所要所で本質が表され
衝撃的な気づきも与えてくれる
作中でも語られているように
良くも悪くものまさに劇薬の教えがあります
その中でも
初めに自分が一番ショックを受けたことは
目的論という考え
当時の三大心理学者といわれる
フロイトやユング、アドラー
その中でアドラーは他の二人と異なる目的論を
唱えました。
それは
過去に起きたことや経験が原因で
今の自分の行動や考えができている
という原因論
トラウマなどもそう
それが一般的な人の在り方であるのに対し
そうではなく、今の目的のために
過去の経験を使っている
という目的論で人は行動している
ということ
例えば自分の場合
過去に仕事で体調を崩し、服薬や断薬の時に
大きく自律神経が乱れたことがあります
その経験があるから
毎年
季節の変わり目や大きなストレスがかかれば
乱れ、そして整えることを数年繰り返していました。
それは今でも残っていますが
原因論的に考えたら
至極まっとうな話
事実乱れているんだし、
と言いたくなる
けれど、これを目的論的に考えると
乱れるのはその出来事自体が原因ではなく
自分には何の目的があったのか?
ということ
掘り下げると
当時、自律神経を乱すことで
人の中で自分が恥をかきたくない
仕事でできない人と
烙印を押されて傷つきたくない
という目的が出てくること
もっというと
乱れれば、誰かが助けてくれる
かわいそうだと思ってくれ
自分から相手に近づく行動しなくてすむ
と、無意識下で思っていること
その目的を叶えるために
自律神経の乱れを、利用している
これを読んだ初めは
衝撃的すぎて
ものすごく反論したい気分に駆られました
この作中で青年が言うように
なんという暴論かと
けれど同時に
やっぱりそうか、というもう一人の自分の声も
ここに向き合うことを教えてくれるのがまさに
劇薬
けれど実験してみました
季節の変わり目やストレスで乱れた時に
一呼吸置いて感じてみる
自分の目的は?
そこにフォーカスしたら
自律神経の乱れを治すことよりも
何か建設的な行動
例えば思い切って人に相談することや
抑えていた感情や本音を表現してみること
のアイデアが出てくる
それを恐る恐るやってみると
知らないうちに整っている自分に気がつきました
自律神経の乱れにフォーカスしていたものが
行動や自分の本音や欲求にフォーカスできてくる
もちろんまだ、発展途上ですが
ヨガにも共通していることだと改めて感じました
起きていることは一部ではなく全体的なものが作用していること
表面的なことでも全てには根っこがあり
そこに気がつくことが、表面を変えていくこと
今こうしてブログを書けているのは
悶々と考えて抑えている感情や伝えたいことを
恐る恐る伝えることが
次の成長と変化につながると
文章書いたことがないから
という原因論で生きると表現できなくなる
過去ではなく今どうするか?
目的は何か?
を考えることで
少しずつ前を向くことができる
一歩ずつ
決して焦らず
自分を前に
原因から目的へ
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